DOCTOR
医療法人光惠会の理事であり、新大阪院・野田院の院長経験もある
枝澤先生にご自身の人物像についてインタビューを行いました。
- 自然豊かな徳島で育ちました。
友達と泥んこになるのも構わず駆け回っていた記憶があります。両親からは嘘をつかないようにと育てられたためか、幼い頃から曲がったことが嫌いな性格でした。
- 受験入学した中学から勉強に励んでいました。大学時代は部活やバイト、例年恒例の阿波踊りなど学業以外の事を多く経験しました。そんな中でもやはり、曲がったことが嫌いな性格は変わらず、いわゆる大学生らしく、羽目を外しきれなかった学生でした。
- 県外での就職を希望しており、いくつか医院を見学しました。そんな中、医療法人光惠会の理事長と出会い、その人柄に惹かれ、働くことに楽しみを覚え、光惠会への入職を決め今日まで至っています。
- MESSAGE
「無知の知」という言葉を今でも胸に留めています。常に自分が何も知らないことを自覚する。歯科医師として患者さんと向き合う中で、常に最適なものは何かを自問自答し、謙虚な姿勢で診療するよう心がけています。歯科医師として誠実に歯科診療に携わりたい先生方と一緒に働けることを楽しみにしています。